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わたしは人と出会う時、ひと目から数分でだいたいのことはわかるつもりだ。
どのような環境で生きてきたか、自分との相性は良いか、そして美しくなれる人か。それはつまり「顔つき」を見ているわけだが、その「顔つき」というのは言い直せばだいたい ”目の美しさ(造形とかではなく)”だろう。
その ”美しい目”を形成する要素を上げるとすれば、純粋さ、自信、豊かさ、教養の4つがパッと浮かぶ。そのそれぞれを持つ人の顔つきは美しく、また2つ以上の要素によって輝く人もいる。ところがこれらの要素の中でただひとつ、純粋さだけは他と比べて異質の要素とわたしには思える。他は後天的に身につけるものであり、ある程度「作為的」とも言える要素であるのに対し、純粋さだけはそれ自体がなんらかの「結果」としてもたらされたものだからだ。自信や豊かさや教養をたたえた目が ”揺るがない”イメージなのに対し、純粋な目には揺るぎやすいタイプも多い。では「純粋な目」とはどうものか?
それは喜怒哀楽や好奇心が他人からよく見える目のことだろう。つまりそれは磨かれた結果のものでもないし、あまりカッコいいものでもない。でも、わたしは好きなんだな、この目が。
わたしが「純粋な目」で思い浮かべるのは山田洋次監督の映画『幸せの黄色いハンカチ』の高倉健の目である。
あの健さんの目はオドオドして落ち着かない、キレると燃え上がり、まともに見れないくらい惚れた女(倍賞千恵子)に声をかけられて喜び、奪うように身体を求めた後落ち込み、それでも自分を慕ってくれると驚き、子供を身ごもったと聞いて有頂天に輝くそんな目だ。でも、そんな目のなんと魅力的なことか!
わたし自身普段から自信や教養のような ”達成系”を求め、何か大きな成功を勝ち得て喜びを感じたいと思う方だ。でもあの映画を観れば、そういう達成的な幸せと同等な幸せが他にもあるんだな、と思う。健さんが「俺みたいなヤクザ者でも父親になれるんだな」
と感じたその目、自分なりの幸せを見つけた時の目を見た時に結局わたしには幸せには大きく分けて2つのタイプがあるんだなと思える。達成によって感じる幸せと、純粋な心の人が自分なりに見つける幸せの2つが。
そしてわたしが最初に言った、初対面で分かる「美しくなれる人」は純粋な目を持った人なのだと思う。それは人の意見を信じ、好意的に捉えられる人であると同時に、自分なりの幸せを必ず見つけられる人だと思うのだ。
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